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| 日本のコレクションのほかに、ジョルジュ・ラビ美術館では、有名なイン・イメンのミイラを中心に、古代エジプトの葬儀に関わる品々、青銅製品、護符なども多く紹介しています。コレクションの形成は革命期に遡りますが、主要な部分はエジプト遠征(1789-99)以降19世紀に蒐集されました。そのコレクションの形成にはさまざまな人が関わることになりました。 |
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| コレクションの核を創った人物です。デュメージュは、1793年、革命政府が接収した作品を寄託したオーギュスタン修道院を美術館として組織し、トゥールーズ最初の美術館を設立します。また、古代の、とくにエジプトのコレクションを形成。彼がミイラの研究をしていたため、現在展示されているミイラが、ジョルジュ・ラビ美術館のコレクションに加わることになりました。 |
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| 1798年、東方部隊に配属され、エジプト遠征(1798-1801)に参加した人物です。その遠征は、軍事目的であったと同時に学術的遠征でもあったため、多くのフランス人学者が参加しました。ロゼッタストーンが発見され、帰国後に研究成果が発表されると、フランスにエジプト旋風が巻き起こりました。デュグアがどのようにコレクションを集めたかはほとんど知られていませんが、市がこれを獲得したことで、エジプトのコレクションが充実したことは間違いありません。とくに、花崗岩の《夫婦と子ども達》や《王の頭部》などの彫刻は秀逸です。 |
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| エジプト遠征のもう一人の立役者ヴァンサン=イヴ・ブータン(1772-1815)も、重要な作品を蒐集するきっかけを創りました。優秀な士官ブーダンは、1810年頃、中東におけるナポレオンの諜報部員を務めており、『死者の書』(ミイラの部屋)の一部を成す大きなパピルスを購入しました。1815年、シリアでの諜報活動の際、暗殺されると、パピルスは家族の手に渡り、20世紀初頭エジプト学者アレクサンドル・ヴァリーユ(1909-1951)に譲渡されました。 |
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| ルーヴル美術館古代彫刻担当学芸員クララ伯爵(1777-1847)は、美術館の護符コレクションの主要な部分を蒐集しました。コレクションは1846年美術館に収蔵されます。亡命貴族の息子であったクララ伯爵は、はじめは反革命軍で、後にロシア皇帝軍で軍人としてキャリアを築きます。このころから既に考古学に情熱を持っていました。執政政府が樹立されるとパリへ一度は戻り、ナポリでカロリーヌ・ミュラの子供の家庭教師になります。そしてミュラは、クララ伯爵にポンペイの遺跡発掘を指揮する機会を与えます。王政復古期には、王の使者に伴いブラジル、ギアナ、アンティル諸島へと旅します。1818年、ルーヴル美術館の古美術担当学芸員に任命され、コレクションに関する出版や研究活動に身を捧げました。 |
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